何か別のところで同じ観点が出てきた気がするな…と思ったら、「廬山は煙雨、浙江は潮」で始まる蘇東坡の詩だ。確か鈴木大拙の本で読んだはず。これは「行ってみたらどうということはなかった」ということだけど、禅では悟りをそのように扱う。「平常心是道」にもつながる表現
以前どこかで読んだ「山頂には何もないということを知るには、山頂まで登る必要がある」みたいな言葉がすごく印象に残ってる。それはこの世が虚しくて追い求める価値のあるものが何もないという意味じゃなくて、山頂とは「これがないから自分は不幸なのだ」という囚われの感覚のことだ、と私は解釈した
当然、ここで揃って1か2を引いてる人間も世の中には一定の割合でいるはずで、そういう世界で人に努力がとか自己責任がとか言うのってすごく残酷というか、思慮に欠けた言葉だと感じる
もちろん人が人生で直面する課題は10個どころじゃないけど、ここで注目すべきなのは親の経済力や文化資本や人間性、本人が健康体かどうかみたいな少数の重大な初期設定のこと。このあたりで揃って5か6を引いてたら、個別の課題で多少の困難を引いたとしても余裕でリカバリーが利く…ように見えてしまう
自己責任や努力不足とか言いがちな人って、自分の何がおかしいのか指摘されても理解できないのだと思うけど、たとえばサイコロで5か6の目が出るのって3分の1で、10回振って10回とも5か6が出る確率は6万分の1くらいある。人口の大きさを考えれば、マジでそんな世界しか知らない人間がそこそこいるのよね
寝癖つくよ 
お昼食べたら1時間散歩するか〜と思ってたらぱらぱらと雨音が聞こえ始めてシュン…となった
これは本質情報ですが、脈ありとわかるのが脈あり、わからないのが脈なしです
今週の3行日記です。カロリーに気をつけて(ハートに火をつけて)
note:コーラのボトル横に最初に角砂糖を積んでみせた人物は有能 - 3行日記 Vol.27
ぷくぷくたい食べるね 
暑ない!? まだ夏〜〜!?
(Damusちゃん、画像載せるときにアップロードが終わってないタイミングで「投稿する」ボタンが押せてしまうの、そのうち直してね…)
おはようございます。書体にどことなくコミカルなものを感じる 
おはようございます。書体にどことなくコミカルなものを感じる
「世間では許されない」みたいに、自分の感情と偏見を他人を主語にして語るのはやめようね
あたまの毛を モ… とされている様子です 
まあ、まとめると「何かを書くためにはそれだけの経験が必要だよね」という単純な話ではある。そして若いうちに「自分は内容のあるものや面白いものを何ひとつ書けない」と悩むのは、どちらかといえば通るのが正解の道なので、それで全然構わない。以上、実用書を書いてるだけの物書きの感想でした。
そこを間違うと、それっぽい言い回しが上すべりするだけで内容は何も伝わってこない、いわゆるポエムになる(これは詩的な表現全般を貶める言葉なので、あまり使うべきでないけど)。なので、原稿に向かうのもいいですが、もっと外で全然関係ないことをいろいろするといいと思います。肉体労働でもいい
作家は内的世界を表現するものだ、と言うかもしれないけど、外界との関わりなしに内面が成長することってあると思う? もしくは最初から才能として持ってるとか。私はそれはどちらもありえないと思う。何かを吸収することも、逆に反発する強さを持つことも、誰かと関わらなきゃ始まらなくない?
たまに「作家志望」といった方の文章を見ていると思うんだけど、いいものを書くのには内容が必要で(当たり前だ)、これは「うまいこと言う」みたいな表面的な話とは全然違うんだよね。で、内容っていうのは、基本的には外の世界と関わることでしか生まれない。仕事や趣味、人間関係みたいなこと