#MotBGM #NowPlaying Tokyo - くるり (Sayonara Stranger (Goodbye Stranger))

#MotBGM #NowPlaying OR - clammbon (Hanare Banare)

#MotBGM #NowPlaying Time Limit - clammbon (Hanare Banare)

#MotBGM #NowPlaying Mitsubachi - clammbon (Hanare Banare)

#MotBGM #NowPlaying Hanare Banare - clammbon (Hanare Banare)

器が可愛い
お、ゆーもんくん鈴鹿におるな
正規表現、趣味にするってどういうことなの?と無茶苦茶興味湧く
体も強くて頭もいいのかよ、ヤバすぎだろとなる
朝学生気分
さて、ほんじゃ私もコメダ行きますか
うちは地域の特性で結構中学とかにも外国人居たんだけど、やっぱね…天下のトヨタさんに引っこ抜かれてくる大エリートのご子息パターンとかもいて…改めて思うと、よく覚悟を決めて子供を連れて日本へ来る決断したな…スゴイ…となる
有言実行えらいっ
自分ごとに置き換えてみると唐突に、結構スゲーことをやってると気が付くんだよな…
わかるわー。高校生くらいまでボビー・オロゴンとか見て「日本語下手だなwwww」みたいなことで笑ってたけど、大学生とか大人になってからは「いや冷静に考えて母国と全く異なる言語体系の国に行ってコメディ番組に出て現地人から笑い掻っ攫ってるとかスゴすぎでは?エリートじゃん」となった
物語の場所はどこなのか?についてはわりと謎ではあるんだけど、お月さまや象が喋るファンタジー世界でそう厳密な話をせずとも!という前提はありつつも… 記事内で考察しているとおり、賢治の中にあるインドのイメージと花巻の農村とが融合した世界観なので、現実的には不整合なのかもしれない
「ある牛飼いはこう語る」
で始まり
「ああ(?)、川へ行ってはいけないよ」
で終わるのもキレイな対となる構造で、あくまでもこれは読者が牛飼いからお話を聞いているのだ…という前置きから始まっているから、物語がクライマックスを迎えて解放が為されたので、牛飼いも物語の世界から現実に帰ってきてそこいらの何かしらが川に入るのに注意をして終わるんだろうね。おしまいおしまいと言わずとも、これでもう語ることはないという終わりを示している
これがただ単なる悪者と象を巡るファンタジーで終わるのではなく、勤勉な労働者を酷使する資本家との闘争であったり、素朴な労働の尊さを説きながら同時にそれが報われない、その事実に多くの人達が気付きながら声を上げない…悲しい人間社会への風刺でもある、みたいな話をしたらひっくり返りそうである
丁寧に読んでるなぁ