自分は大量移民を経済的理由というより、主体の価値観レベルの議論で批判している
これは移民反対の経済的な議論が失敗したとしても、大量移民反対の立場を守り切ることができる
経済は目的のための手段であり、価値観は目的を与えるものだ
なのでこの議論は強い
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移民が家族を大切にする価値感(近さの価値)を持っているとする
そうすると、現地民のナショナリズムを価値感レベルで否定できないことになる
近さの価値というのは、遺伝的に近い存在を優先するのは自然であるということ
自分自身は大切
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子供や親など家族は大切
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そうならば祖先は子孫も大切
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近い祖先や歴史を共有する同じ民族も大切
移民が近さの価値を持っているなら、同じ民族を優先していい、という主張を自分の価値レベルで否定できない
その移民は、自分の価値感で他国のナショナリズムも正当化しているので、大量移民反対は正当であると認めないといけない
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大量移民国家は、血のつながった自分の子供を特別に大切にしない(近さの価値を否定)という考えを徹底できる社会でしか成立しないように思える
大量移民は現地民の近さの価値感と必ず衝突するが、その価値感がない社会なら大丈夫だろう
この大量移民国家は、大量移民側も自分の家族を特別に大切にしない価値感を持っている必要がある
やってくる移民に近さの価値の否定を強制させなければいけない
自分の家族を大切にする価値感を持つのは、その国家が近さの価値を認める結果になってしまい矛盾する
大量移民国家は自国民と移民に不自然な思想を強制しないと成り立たない
アメリカのような移民国家も家族を大切にする価値感と長い歴史を持てば移民を入れすぎてはいけないというように長期的には変わっていくはずで、今が過渡期なのかもしれない