https://quillette.com/2020/10/02/weaponizing-words-language-and-oppression/

言語を強制と抑圧の装置とみなす世界観をサピア・ウォーフ仮説と結び付けて語っている。著者は言語学者とのこと。特に生成文法界隈ではサピア・ウォーフ仮説の評判が悪いため、この結び付けによって当該世界観を貶めようとしているように読める。

強いサピア・ウォーフ仮説が誤っているのは確かとして、弱い仮説を反証可能性がないから無意味と切り捨てるのは視野が狭い。これは離散的に真偽を判断すべき対象ではなく、0から1までの連続体のどこに位置するかを問題にすべきもの。その意味では仮説とよぶのが誤解のもとで、因子とでもよんだ方が適切。以前はこうした定量化は不可能だと思っていたけれど、LLM を使えば案外何とかなるかもしれない。

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Discussion

Miranda Fricker の hermeneutical injustice(解釈学的不正義)は、ざっくり言えば「共同体の共有解釈資源に穴があると、ある種の経験が理解・表明しにくくなる」という主張。やはりサピア・ウォーフ仮説を連想する。この問いを ChatGPT 5 Thinking に投げてみると、サピア・ウォーフ仮説は個人の認知に関するもので、解釈学的不正義は社会構造に関するものだから本質的に異なるという答えが返ってきた。まあそういう面はあるとして、サピア・ウォーフ仮説が叩かれまくる一方で解釈学的不正義が評価される構図にも説明を与えたい。言語学が実証性を重視するのに対して、社会正義界隈は内輪で納得しあったらそれでおしまいだからではないの?