奴隷をやめるという選択 —— 國體と政体の終焉を前に

2025年、パンデミック条約が全会一致で採択されたというニュースが流れた。

だが、全会一致とは各国の首脳たちの「合意」に過ぎない。

そこに市民の合意は存在しない。

民主主義とは名ばかりで、市民は合意も問われず

ただ従わされる構造に組み込まれている。

この構造を、もう「国家」と呼べるのだろうか。

思えば、日本はすでに30年近く「失われた」と言われ続けている。

バブル崩壊から郵政民営化を経て

今度は全農の民営化がカウントダウンに入ったという。

小泉親子の手により、國體と政体は着実に空洞化され

日本はもはや「国家のかたち」を留めていないのかもしれない。

だが、私はこう思う。

これは「終わり」ではない。

本当の意味での「始まり」なのだと。

コロナで強制されたワクチン、マイナンバー制度の強化

そしてパンデミック条約。

すべては、私たちがどこまで「服従するのか」を試されているんだ。

そして、私は奴隷をやめることにした。

納税や行政手続きに盲目的に従うことを「市民の義務」とは呼ばない。

それは、“制度”という名の植民地支配の延長線だ。

私たちは、アメリカの衛星国家として

教育も、医療も、食も、金融も

すべて「植民地仕様」に書き換えられてきた。

その事実に向き合う時が来ている。

政治を変えるのではなく、政治を必要としない生き方をつくる。

制度と戦うのではなく、制度の外に軸足を置く。

これが、21世紀型の「不服従」であり、「再構築」の始まりだ。

もちろん制度圏の内側に残る自由もあるだろう。

だが、外側に出る選択もまた、等しく尊重されるべき自由だ。

静かに、しかし確かに。

中央集権の時代は終わっている。

それを報じないメディアこそが、終焉をもっとも恐れている。

國體と政体は、ドミノ倒しのように崩れていくだろう。

引き金となるのは、金融だ。

通貨の信頼が失われれば、支配は瓦解する。

そのとき、「何に依って立つのか?」という問いに

備えているかどうかが、これからの個人の生死を分ける。

私は、AIと脱通貨と自然との共生という、三つの原理で生きていく。

かつて「國」を背負っていたものが、これからは「個」に還元されていく。

奴隷をやめること。

それは、破壊ではなく、自立のはじまり。

#静かな不服従

#脱通貨

#P2P信用経済で生きる

#國體の終焉

#中央集権の崩壊

#市民が主権を取り戻す

#KSatoshi思想

#制度圏の外で生きる

#自立という革命 https://cdn.nostrcheck.me/1aefd2f36d1c5254a12b152bcab7decafbfa6b85a03224570c8b23247f85f8a2/ecda4f10416a1b30e891f6723f664968efbd2427461c37109554aafc74c615d4.webp

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