ちょっとそのうち論文とかの形にしなきゃいけないんだが、そのへんぼくは民族主体思想なのね
歴史的事実としてはそれでよくて、ただオーヤシマ民族の歴史哲学としては、それはオーヤシマ的な社会構造の要請にシナ的な記号群を利用したに過ぎないと考えてて、だからこそそれはシナ的な体系としての漢語ではなくてオーヤシマ語のオーヤシマ的な語彙(やまとことば)で説明されなければならなかった、つまり日本の社会現象は一切「本来はやまとことばで表現されるのが正しい」と思ってるし、まだない概念なら翻訳していくべきだと思ってる
幕府ならトバリノウチノトノとか将軍ならイクサノキミとかね
頼朝の頃ならたぶんやまとことばもあったと思うけど記録があるかは知らん