ちょっと考えたが、用語としては反証可能性 (falsifiability) よりも検証可能性 (verifiability) の方がマシな気がしてきた。どっちにしても科学哲学用語として確立されてしまっていて、もとの意味から外れていることには違いはないが。科学哲学は論理と結びついていて真偽値に焦点を当てるが、いま考えている倫理の問題ではどの程度妥当かという連続的な評価しかできそうにない。検証可能性も元の文脈では真偽値を扱うが、falsify は字面から真偽値に結びついているのに対して、verify ならもう少し緩い。
機械学習用語に説明可能性 (explainability) があるが、こちらも違う。説明可能性は、パターン認識に基づく出力が先にあって、後付けで説明を行うことが典型的に想定されている。いまの私の立場は、そもそもパターン認識に基づいていてはならないというもの。パターン認識器を学習するための訓練データが信頼できず、それそのものを検証の対象にしたい。