エンデの短編「遠い旅路の目的地」と「ミスライムのカタコンベ」(どちらも「自由の牢獄」に収録)、ときどき読み返しては、生きるということの意味を洗濯してる
SNS見てると、世の中には「Aの人もいればBの人もいる」とか「Aがよい場合もあるがBのほうがよい場合もある」とか、言ってみればそれだけのことを全然想像できない人がけっこうな割合でいる気がしてくる
あれこれ言わずにそっとしておいてくれるのもやさしさだし、ためらいなくおせっかいを焼いてくれることも別のやさしさだし 何が正解かなんて一概には言えないことばかりですよ
今日も握っております

在宅ワーカーの特権、仕事中ずっとこの距離で真横に文鳥がいる 
ピストルズのアルバムが1980年の前くらいかと思って調べたらあれは1977年で、もうこの頃には既に反動が受け入れられる状況だったのだろうか。偶然だと思うけど、大作志向が続いたYesの「Relayer」は1974年、次に初めてコンパクトな傾向が出た「Going For The One」が1977年である
プログレを愛している身でありながらいまいちわかってないんだけど、一般的にクリムゾンの「宮殿」(1969年)が幕開けとされるこのムーブメント、70年代の終わりに急速に萎んでいった…というの、個別のバンドの終わりならまだしも、ロック全体を取り巻く空気感があんな急速に変わるものなのかね?
なんか「不器用なだけ」と「性格が悪いだけ」の境目がわからなくなってきた、私はなるべく不器用な側の人間の味方でいたいと思ってきたけど、実際その人が誰かを傷つけていて、悪意があるわけじゃなくて、悪意がないから自覚もなくて、なんかそれって、いいのか? 味方していいのかわからなくなってきた
スベスベマンジュウガニよりもすべすべな文鳥 
文鳥に串カツ見せつけてる 
このところ、たぶんここ1年で最も体調がよくない。何もできてないっていうのが比喩でなくそうで、直近2週間は原稿1文字も書いてない
夕方の散歩に出てたら友達から元気ないってLINE来たんで、その場で撮って送った動物病院の看板

おはようございます。玄関先に金魚のいる家があって、少し覗き込んでみたらご飯の時間だと思われたらしくワラワラと集まってしまい、アッすみません…違うんです… という申し訳ない感じになった 
隠れています 
10月も後半だというのに秋なのか秋じゃないのかはっきりせず、袖あり袖なし袖々になりそう
ベーシストとしてのレイ・シャルマンはわりと硬質で直線的な音色で、鍵盤でバッハを弾くときの左手みたいなベースを弾くイメージがある。中期以降のドラムのジョン・ウェザーズも引きつったような独特のグルーヴがあるし、リズム隊だけで既に面白いんだよなあ
ベースからバイオリン→ボーカル→トランペットと持ち替えてるレイが主役かと思いきや、チェロ→キーボードから圧巻のビブラフォンソロでケリー・ミネアが全部さらっていく曲。少なくともロックバンドという形式で、Gentle Giantより面白い人たちって今後現れるのかな?
Gentle Giantのベースのレイ・シャルマン、去年亡くなっていたのか…個人的にはMotörheadのレミー・キルミスターと並んで、ロック史上最も魅力的なベーシストだったと思う
そもそもの仏教の要点として、悟りは何か特殊なものすごいアゲアゲ状態を指すのではなく「歪みが正しく取り除かれた」的なニュアンスなので、内的な状態であれ外的な目標であれ「すごいものを想像して求めてたけど実は違った」と気がつくことは、単に「元に戻って何もなかった」こととは明確に違います
ちなみにGeminiちゃんに質問してみたところ、「深い意味」と言っているわりにそれが何なのかはいまいち要領を得ない回答だった。個人的には「結局は元の自分に戻ってしまう」はかなりはっきりと解釈の誤りだと思う。AIに禅は早すぎるらしい 