区役所の窓口で永遠に待っており、そろそろ身体が風化してきた
それは実際に非常に困惑させられたり苦悩させられたりするので、渦中にいながら「そういうものだよね」なんて悟り澄ました顔ではいられない にも関わらずやっていくのが大切だということです
お互いが違う人間であって別々の感じ方や考え方をするということを嫌というほど知りながら、それでも人間関係をやっていくということがとても大切
鳥のごはん入れを浅型容器(右)に変えました。ケージ付属のやつ(左)はけっこう深くて真下に首を突っ込まないといけないので、こっちのが鳥にやさしい。でもふみ子はビビりなので、新しい容器に慣れるまで上からおそるおそる食べるようです(たまたまこう撮れたのではなく、変えてからずっとこのスタイル

窓の外見たらもう暗くてびっくりした、日が落ちるの早くなったなあ
マフラー巻いてるみたいね 
ヘヴィメタルだ 
コンサーティーナ朝練でした。土日両方やるのは久しぶりだな〜 
なぜ才能がないとわかっていながら10年近く楽器を続けられてるのかというと、やはりそれは私が人と繋がるための他にないほど強力な手段だからだろうな。苦労して本を書くのもそうだけど、自分の手で何かをやれば、見つけてくれる人はいるからね
少し前に文鳥のふみ子のエッセイ&フォトブックを出しましたが、もう少し真面目な写真集「永遠に死んだ石 - 電子版写真集 I」をリリースしました。amazonにて発売中です。よろしくね〜
エブリバーガーの味違いって珍しくない? 初めて見た気がする〜 
ふっくらモチモチ 
今週の3行日記です。ぐんと寒くなってきましたね〜
note:どうして何にでも終わりがあるの - 3行日記 Vol.30
私もアンティークの楽器持ってて、さすが1900年代初頭のWheatstoneは違うなあ…とか言ってる人なので、微妙な音の違いに対するマニア的な楽しみというのは普通の人より理解できるつもりだけど、払ったお金がそのまま自慢になるというのは正直あまりかっこよくない。かっこよくないのはいただけません
いわゆるオーディオマニアに対するまなざしがいまいちなのって、100人中99人はわからないであろう違いに何百万もつぎ込むという点のほかに、それが「どこまで突き詰めたとしても受け身の消費でしかない」という理由もある気がする。2万円の中古のギターで楽しめる人のほうがずっと創意を感じるっていう
ピョッ 




