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まあ、正直死後まで改変の禁止をするのは無理なのだ。遺族が権利を持って訴訟でも起こす気概があれば別なのだ。

自分が権利を持つ画像を、死後も消えないようにネットに放流したいなら、4chanあたりに放流しておくのが一番だと思うのだ。ウケれば一生ネットのおもちゃなのだ。

なんか、商材とか宣伝の投稿がユニバースに流れるようになってきたのだ。所属リレーを見ると日本リレー外なのだ。

やっぱりれどめ商事経由なのだ?

皆が購読するミュートリストの管理者は、権力を持ったことになるからなのだ。

Ad blockと同じ構造になるのだ。

共有ミュートリストって便利だと思うのだけれど、確実に色々起きるのも事実だと思うのだ

名付けは重要なのだ、いつでも、どこでも

小集団の時に集団にラベリングすると、そのときは結束感があってよかったりするのだけれど、人が増えてろくに結束感もないままラベルだけが残ると、結構厄介なことになることもあるのだ。

表現の違いでしかないものは、表現の違いという意味で大きな意味を持つことはあるのだ。

ただし、ほぼ同じ概念がすでに普及し切った後だと、単なる看板の掛け替えになりやすいのだ。

一度commit済のものは、たとえ後からrmしても残るのだ。pushの前に、履歴全体に機密情報が一回でも含まれてないか、logを見直して、それから出した方が良いのだ。

この人の発言を見てて得る物がないと思ったら躊躇なく視界から外せば良いと思うのだ。

見たくない物を見ることは、時には必要だけど、場所は絞った方が良いと思うのだ。

全ての場所で全方位から身に受け続ける聖人になる必要はないと思うのだ。

まあ自分がミュートされやすい方の発言をしてるのかは、何となく考えておく方が健全だと思うのだ。

とはいえ、気をつけてても明後日の方向に刺さってるのはよくあることだから、気にしすぎても仕方ないのだ。

置き配は、置いたら終わりだからあえてベル鳴らすことをしないことも多いのだ

精神的に荒れやすい人、攻撃的になりやすい人、他人に依存的な人は、意外とミュートされてるものなのだ。悪い意味で目立つのだ。

...なんなら、以前からトラブル起こしがちな人たちは、ミュートされてることが多いのだ

フォローもあればミュートもある以上、見えるものは違うのだ

不思議なことに、どこのSNSでも、自分の見たものは他の人も見ているはずだと信じ込んでしまいがちな傾向あるのだ

リーダーがいて、メンバーがいて、契約やその他で縛って、意思伝達できるなら、確かに組織や集団だと思うけど、そんなの仕事や部活動でもないかぎりほとんどないのだ。

自分の所属している集団、あるいは、他人が所属している集団は、一枚板だと思いたくなるものなのだ。

それが一体感を生み出すからなのだ。

しかし、実態は大抵烏合の衆なのだ。

たまたま目的や利害が一致してる時は同じ方向を一瞬向くけど、皆バラバラなのだ。

めんどくさいことに至ってはなおさらなのだ。

仲間になった気分になるのは気持ちが良いけれど、本当に仲間かどうかは考えた方が良いのだ。