昔はニャン2倶楽部に送るためのそのような写真をセルフで現像するための設備を時間貸ししてるとことかがあったらしいですね!
実際、写真見るってなるとほとんどがスマホの画面からタブレットの画面で、作品として(あるいは私的な記録として)紙に印刷された写真をじっくり見る機会ってほとんどなくなったよねえ。
カメラはロマン
現像のために住んでたワンルームを暗室にしてたんですけど、シンプルに人の生活する環境じゃなかったです。若いうちにやっといてよかったです😂
今のiPhoneって夜になんか適当に空を撮影すると肉眼で見えてない星まで写るじゃないですか。アレが実は撮影時間とか場所とかカメラの角度とかから「この辺に星があるはず」って感じで実際にレンズを通過した光とは関係なく描き加えられたものであっても僕には気付けないんだよな〜みたいなのはあって、じゃあ写真ってなんなんだろうって。
「良いなと思った写真は印刷するといい」というのは本当にそう。
二十年くらい前に、かなりお粗末ではあるんですけどちゃんと自分で作ったフィルムを内蔵できてピントとか絞りの調整もできて……というカメラと呼んで良い何かしらを作ってそれで写真撮って遊んでました💪なお写りはお察しです🦭
あとほら、写真ってもはや現像(あるいは印刷)して飾る物ではなくてディスプレイに表示させて見るものになってしまって、結局自分の写真を自分の想定に近い色味で見てもらうのはほとんど無理でして……アーーーーッ!!
そして考えすぎると「カメラもレンズもフィルムも自作するしかないんや!!」みたいなことになります(経験者)
それならスマホのカメラで良いな……みたいな気持ちになるんですよね。
そんで普段使いに良さそうなサイズ感のカメラって大体はソフトウェアがカスで動作がモサモサしてたり、その割にどこで何をいじられてるか分からん便利機能満載だったりして。僕はそういうカメラ使うと「これはどこまでが自分の意図でどこからがカメラの意図なんだろうな」って悲しくなるから使いたいと思えない。
じゃあ「ハッセルブラッドのデジタルバックとかがカメラとして正しいのか?」っつうとあんなモンを普段使いで持ち歩くのは現実的じゃないのよ。
でも、あの写りの甘さも見てて可愛らしくはありますよねー!「良い写真をとるため」みたいな事じゃなくて「物としてバツグンに可愛くて特有の面白さがある写真を撮れる何か」としては最高です🦭
ライカのあの色味とかパキッと感とかがカメラの実力としてああなのか、それともライカ的なものを求める人のためになされた調整の結果なのかはよくわかんない。でもライカの作例見ると「黄色人種和の肌の色とかおかしくない?」ってなることが多いから、アレは良し悪しというより好き嫌いとして語られるべきものなんじゃないのって感触。
二眼カメラってすごく可愛いんですけど、撮影機器としてのカメラという意味では二眼カメラのあの形や構造にもはやメリットはなくて、要するにノスタルジックなオブジェクトとしての魅力ですもんねぇ。
ローライフレックスは可愛いからほしい。でもなんかインターネットサブカルガール的なジャンルの人達を思い浮かべてしまうとこもある。
ライカは「人からタダでもらえるなら喜んでもらう」くらいの欲しさだけど、ハッセルブラッドは「ちゃんと写真表現と向き合うとしたらいつか買いたいな〜」くらいには欲しい。
心地よさのための場所と正気を確認するための場所を別で用意して、前者の心地よさを盲信しないことと後者に触れる際の不快感は納税みたいなもんだと思ってきちんと受け入れることが大切な気がするな。
インターネットに限らず他者と関わる際の基本戦略として、いかに「みんな」から逃げおおせて自分にとってマシな人達とだけ関わることのできる仕組みを作るかというのが大切になってくるんだろうなと思うし、それはそれとして「自分にとってマシな人達とだけ関わる」を漫然と続けてるといつの間にか自分とその周囲が浮世離れした気狂いになってるみたいなことが容易に起きるから、ままならないね。