祖母に育てられたんだけど、戦争中は浅草にいて隣に住んでいたアメリカ人(ん?)から洋食を習ったと言っていた。

味噌汁や漬物が大嫌いで、ピーナッツバターやらピクルスやらレタスやら洋のみの朝食で僕は育ったのだが戦争中に「隣に住んでいたアメリカ人」というのが次第に不思議に思え、ある時たまにしか会わない父親に聞いてみた。

父親は話を聞くや腹を抱えて大笑いし始め

「アメリカ人じゃないよ。ドイツ人!ドイツ人!アメリカ人が空襲の時に隣に住んでるわけないだろ!笑」

と僕まで笑われて憮然としたことを思い出す。戦争中の庶民の感覚なんてそんなもんだったんだろう。その上、祖母は何度かの戦争を経験しているので、一体どの戦争はどの国と戦っていたのか朧なところがあり。

他にもソ連のことをロシア、ロシアというもんだから、婆ちゃん、もうそんな国はないんだよ。今はソ連だろう。と言っているうちにソ連はロシアに戻ってしまった。

婆ちゃん。やっぱロシアでいいや。もう。。

祖母の長い人生の中で、ソ連はそのうちの70年を占めた束の間の国でしかなかった。1905年に生まれた祖母は101年生きて亡くなったからだ。

Reply to this note

Please Login to reply.

Discussion

そんな祖母だったが、東京大空襲の折に浅草にいたことは事実であり、子供の頃から何度もどんなふうに、どんな音でB29が飛んできたか、焼夷弾がどんなふうに落ちてきて、どんな風に家を焼き、祖母がどんなふうに火の海を逃げ惑ったかは繰り返し語ってくれた。

戦争の話は一切しなかった祖父と違い、その経験は自分の中で本当に貴重だったと今では思っている。

10年ほど前に友人と浅草のあるおでん屋に行ったら東京大空襲の写真が店内に貼ってあった。僕は祖母の話を思い出し、つい店のマスターと東京大空襲の話で夢中になって話し込んでしまい(経験もしていないのに!)、隣にいた彼女をすっかり怒らせてしまった経験がある。

あの地獄を語ってくれた祖母のおかげで自分は経験したかのように夜空を飛び交うB29と焼夷弾の映像を脳裏にとどめている。

実はあれが原爆と並んで人類史に残る大虐殺であったこと、カーチスルメイの名前、そんな知識への関心へとつながったのも祖母のおかげである。