祖母に育てられたんだけど、戦争中は浅草にいて隣に住んでいたアメリカ人(ん?)から洋食を習ったと言っていた。
味噌汁や漬物が大嫌いで、ピーナッツバターやらピクルスやらレタスやら洋のみの朝食で僕は育ったのだが戦争中に「隣に住んでいたアメリカ人」というのが次第に不思議に思え、ある時たまにしか会わない父親に聞いてみた。
父親は話を聞くや腹を抱えて大笑いし始め
「アメリカ人じゃないよ。ドイツ人!ドイツ人!アメリカ人が空襲の時に隣に住んでるわけないだろ!笑」
と僕まで笑われて憮然としたことを思い出す。戦争中の庶民の感覚なんてそんなもんだったんだろう。その上、祖母は何度かの戦争を経験しているので、一体どの戦争はどの国と戦っていたのか朧なところがあり。
他にもソ連のことをロシア、ロシアというもんだから、婆ちゃん、もうそんな国はないんだよ。今はソ連だろう。と言っているうちにソ連はロシアに戻ってしまった。
婆ちゃん。やっぱロシアでいいや。もう。。
祖母の長い人生の中で、ソ連はそのうちの70年を占めた束の間の国でしかなかった。1905年に生まれた祖母は101年生きて亡くなったからだ。