こういう超越的原理を認めない立場からは、意見という概念はけっこうよくわからないと思う。意見は、普遍的であるはずの「正しさ」と明らかに結びついている(ある意見をもつということは、それが正しいと思うことである)のに、意見そのものは普遍的ではないとされる。そして、中立的な文章に自分の意見を書いてはいけない、などと言われる。
Discussion
むしろ、面白いのは、素直に意見という概念を受け入れる、いわば保守的な立場が成り立つ仕組みのほうにあると思う。こういう立場では、普遍的な正しさを判断する理性に先立って、私たちはなんらかの超越的枠組みの中にいる。そして、この枠組みが、「正しさ」よりももっと基礎にあり、したがって、それぞれの枠組みに相対的な正しさに基づいて「意見」が生まれる。意見が依拠する超越的原理は、普遍的真理を追究する理性の対象範囲の外にある。
自分がよくぼんやり考えていた「右派と左派の根源的対立」とはこういうことだと思う。この意味での左派は、自身の主張は単なる「意見」ではなく、宇宙の普遍的真理(の候補)だと思っているはずだし、主張とアイデンティティは無関係で、それが真理ではないとわかれば即座にそれを変更する。他方で、この意味での右派は、主張が信念やアイデンティティのようなものに根ざしていて、ある意味で、何によっても(真理によっても!)揺るがない強さを持っている。