むしろ、面白いのは、素直に意見という概念を受け入れる、いわば保守的な立場が成り立つ仕組みのほうにあると思う。こういう立場では、普遍的な正しさを判断する理性に先立って、私たちはなんらかの超越的枠組みの中にいる。そして、この枠組みが、「正しさ」よりももっと基礎にあり、したがって、それぞれの枠組みに相対的な正しさに基づいて「意見」が生まれる。意見が依拠する超越的原理は、普遍的真理を追究する理性の対象範囲の外にある。

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Discussion

自分がよくぼんやり考えていた「右派と左派の根源的対立」とはこういうことだと思う。この意味での左派は、自身の主張は単なる「意見」ではなく、宇宙の普遍的真理(の候補)だと思っているはずだし、主張とアイデンティティは無関係で、それが真理ではないとわかれば即座にそれを変更する。他方で、この意味での右派は、主張が信念やアイデンティティのようなものに根ざしていて、ある意味で、何によっても(真理によっても!)揺るがない強さを持っている。

こういう仕組みである以上、私たちの理性による議論の枠組みの中では、常に左派の方が「正しい」のだが、しかし、ポイントは、そのことは左派のほうがうまくいくことを全然意味しないということである。なぜかといえば、ほかでもないこの現実が我々に対して超越的だから!

最後に、ここまでの話はすべて抽象的な話で、もっと複雑な現実の政治とは全く無関係であってよいのだけれど、実際に、政治的立場と物事全般のとらえ方との間に関係があったら、ちょっと面白いなと思います。