「祖母と浅草シリーズ」もう少し書く。

実は長い間、僕の本籍はずっと浅草だった。空襲で祖父母は浅草を焼け出されて八王子に移り住んだけど、本籍はずっと浅草から動かさなかった。僕はややこしい家で祖父母の籍に入ったので、浅草の当時の住所が僕の本籍だったのだ。だから空襲時に祖母たちがどこに住んでいたかはわかっていた。

あるとき僕は、その住所を尋ねて今の姿を祖母に見せたいと思いついた。その頃は祖母もまだ少し歩けたから、聞いてみたら行ってみたいという。当時祖母は浅草で美容製品関係の卸売店をしていたのだが、隣家とは家族ぐるみでつきあいがあり、浅草を出た祖母とは違い今でもその場所に住んでいるらしいという。

問題なのは、その本籍の住所が旧地番だったことだった。浅草の田原町付近なのだが焼け野原になって長い時間の中でその姿を一変させていることはもちろん、現在のどの場所が祖母の住んでいた地点なのか調べることは簡単ではなかった。ネットで旧地番と新地番の対照表を見て特定しようとしたが、簡単にはいかなかった。あとは祖母の記憶でしかなかった。続

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でも旧地番を変換した新しい地番付近に祖母を連れて行くと、記憶が蘇ったらしくスタスタと歩き始め、(道路はそれほど変わっていないらしい)「ここに間違いない」という場所をさし示してくれた。その近所で聞き込みをしたら、やはり隣家はそのままそこで商売を続けており、あろうことか、そぼの友人である隣家の奥さん(おばあちゃん)が入院したばかりだとお孫さんが教えてくれた。ものはついで?だと、その入院している病院までその日のうちにたどり着くことができた。

Oさん(その隣家のお婆さん)は、残念ながら意思を疎通することはできないほどお年を召されており(といっても祖母より年下なのだが)枕元に来て呼びかける祖母を全く認識できなかったけれど、Oさんの顔を見て祖母は安堵したらしかった。思いつきから何十年も前の被災の地点を特定し、年老いた2名を曲がりなりにも再会させることができたのは奇跡だったと今でも思っている。

浅草を、そして東京の下町を焼き尽くしたカーチスルメイはこともあろうに自衛隊の指導の功績で勲章までもらっている。ルメイは、東京の下町は全て軍事工場であり、民間人は誰もいなかったと言い続けた人間である。