アメリカの人気作家ジャック・ケルアックさんは、何を書いたらわからない時も、とにかくtypewriterで何かテキトーに延々と打ち続けたそうです。例えば"The sound of the rain"とか。

レイモンド・チャンドラーも、書けようが書けまいがとにかくtypewriterの前に座っている習慣だったそうです。
最上川舟下り
山形文翔館
震災遺構(仙台荒浜小など各地)
みちのく杜の湖畔公園(釜房湖)
仙台城徒歩登坂(地震で石垣崩れ通行止めのため交通機関で迂回路行くと城っぽさピンときません)
くだんの野蛮時代フランスの作り話Phyllis and Aristotleで、アリストテレスの弟子というのがアレクサンダー大王ですが、この師弟関係は本当です。

ソクラテスープラトンーアリストテレスーアレクサンダー大王という系譜ですね。
アレクサンダー大王に仕えたために、後々アリストテレスは神不敬罪でアテネから追放されちゃいました。
ソクラテスも裁判で気難しい事を言わなければ追放で済んだと思うんですが、アリストテレスの方は追放で済ませました。
追放後に彼がイキリたおして言うには、アテネ市民がソクラテスを殺したような間違いをまた起こさせないよう逃げたんだとか。
人のせい…いや確かに市民の方がバカだよね。
結局追放先で亡くなったようなので、すごく凄い人なのに不遇な死に方でしょう。
プラトンに再び問いたい。あなたの死に際はどういう感じだったの?
空海がアリストテレスはすごく凄いもんだから、神レベルに話のタネに使われちゃんですよね。日本で言えば、このXXは空海が造営しました的な。

ヒドいと思う寓話のひとつ:
アリストテレスの弟子の皇帝が怪しい愛人を囲ってるのを見て、「オマエあんなのと付き合うなよ」と戒めた。でもその皇帝の愛人にアリストテレス自身がメロメロになって、庭で愛人にまたがられていいように遊ばれてた。
12世紀ぐらいのフランス人が適当にこしらえたふざけ話。
偉そうに物事語っておいて自分がハマるのかよという諺にしたかったのでしょう。
ところがこれ、現代のウーマンパワーや倒錯の象徴や原点になってしまいました。
"Phyllis and Aristotle"というお話。
RelayにSatoshi渡してあるんだけどなあ。
原点に立つと自分でRelay建てるんでしょうけど、これをまず他の人が使っている状態に持っていかないと、自分のnoteを見る人がいないわけですよね?他の人から見て、投稿以前に私のRelayを追加する利点って何かあるのかな。
…というIrisからのreplyがNostrgramからは見えない。のでNostrgramをreloadしたら、先のNostrgramからの投稿がNostrgramからは見えなくなった。というIrisからの投稿。
Relayの選択が大事ってこういう意味なのかあ。でもどう選んでいいのかサッパリわからない。
普通に即Irisからも見えますよねえ…
Irisで投稿した自分のnoteがNostrgramでは見えないのは何故?
自分のRelayの集合ってどこにあるのかわからないけど、クライアントによらず同じですよね?どのクライアントでも同じに見えるんですが。
Relay集合が同じならnoteの集合も同じになる気がするんだけど違うのかな。
と、Nostrgramから投稿してみる
Iris(下の黒地)もSnort(白地)両方とも実装が間違っています。

特殊文字のエスケープ系の誤りでしょう。こういうのが見つかるようだと思いつく攻撃手法が(略
アリストテレスのリュケイオン発掘跡

メッセージ中に素朴にWikiの元画像URLを埋め込んでみたら自分で見ても表示されなかった。Nostrの勉強が足りないのかIrisの勉強が足りないのか。
アリストテレスは凄い。どのくらい凄いかと言うと、すごく凄いよ!
世の何でもかんでも学問にしちゃったんだから。例えば、五感の分類もアリストテレス。
存在してなかった学問分野を、知の対象として初めて語り始めた所がすごく凄い。間違いも多かったけど、まず走ってみないと検証も修正も起こりえないよね。
#/media/File:Athens_Aristotle's_Lyceum.jpg)
アリストテレスが教えてた学園跡地が1990年代になって発掘されたりしてましたっけ。
アリストテレスのリュケイオンと言われてるんですが、彼が学園にする前から神賛美の体育場として存在していて、ソクラテスやプラトンもここに来てたようです。
ソクラテスはレスリングが得意だよ!信奉するゼウスを鍛えた肉体で賛美するよ!!
アテナイの学堂はフレスコ画、つまり壁画です。
ではどこに描かれているのかというとバチカン宮殿内の一室で、公開されている博物館部分にあります。

圧がスゴくないですか?
天井も床もびっしりですし。
署名の部屋といって、ラファエロを雇ったユリウス2世が勉強したりする部屋らしいんです。
宮殿内の壁画なので大きくて、学堂の床直下の縁が人の背の高さぐらいです。
ソクラテスープラトンーアリストテレスどれか持ち出すと、3つコンプリートしたくなりますよね。
ソクラテスは「アテナイの学堂」ではどうしてるのかというと、弟子2人とは離れたところに居ますよ。
ソクラテスとアリストテレスは生きている時期が重ならず接触ないので、直接の師弟ではありません。

アテナイの学堂はルネサンス絵画としてはあまりによくできています。
しかしこれが西洋哲学の凝縮というわけではないでしょう。
描いたラファエロ自身は哲学者じゃないし。
ラファエロが芸術として自分が描きたいことのために、哲学者をダシに使った面があるはず。つまりは「ソクラテス問題」の一種。
演劇というと、俳優が語り動くドラマを思い浮かべますよね。歌や踊り抜きの。でも古代は必ず歌や踊り入ってたんですよ。ギリシャでもローマでも。当たり前ですよね、聴衆の興味を引いて強い印象を与える歌や踊りを排除する意味ないんですから。
実は現代の演劇・ドラマの源流は、弁論術にあります。つまり裁判です。←驚いて!

アリストテレスの演技論ってのがありまして、師のプラトンの批判で出てきたこれがローマ弁論術につながり、今の演劇に発展しました。これ、演者や聴衆などの環境文脈を排して、言葉だけで真実(イデアでない事物そのもの)を伝えろよってものだったんです。
添付絵はアテナイの学堂で☆バチバチ☆の師弟
ソクラテス・プラトンで劇とくると、サティの交響楽「ソクラテ」というのもあります。死の瞬間までを歌付でつづっています。
https://www.youtube.com/watch?v=jymkesqwvRY
えらい人に頼まれて作ったらしく激賞する人もいますが、私にはピンときません。音楽で再解釈しないで、
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|原本読めばいいじゃん…|
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ぼくのだいじにしているものはぜんぶ歌や劇や踊り(バレエ)にしちゃうよ♪という西洋のノリですね。日本の八百万の神(擬人化・漫画・アニメ化)にするノリの西洋版でしょうけど、東西共に当たり外れが。

くだんの記事の通りで、大文字だけのメッセージの煩わしさは度を越えているらしく、discordなどではボットに監視させてる(abuseの扱い)こともあるぐらいです。
In order to gain something, you must release something.
In order to gain some SNS, you must release some SNS.
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In order to release some trolls, you must gain some trolls.
劇と言えば、プラトンは詩や演劇が嫌いでした。嫌いだから理屈でもってめっちゃ批判しています。
「反劇場論」「詩人追放論」ですね。
TVやSMSも嫌いだよね、プラトンは。
劇や詩は現実の「模倣」に過ぎず、真実(イデア)を歪めて提示してくると。そして人の感情みたいないいかげんなものに訴えるからというわけです。
反劇場論・詩人追放論は、洞窟の比喩と同じく「国家」に出てきます。劇も詩も、プラトンに取っては洞窟の中の影絵に過ぎません。実際、洞窟の比喩の影絵は、演じられた劇そのものなわけで。

ソクラテスは生きているうちに喜劇の題材にされちゃいました。大統領や首相クラスですね!
https://www.youtube.com/watch?v=XdvsBzAzAlw
劇って、百科事典の表現とは対照的で、言葉も歌も動作も全部具体的なんですよ。ソクラテスの人となりやギリシャ思想の具体的な所を伝える重要な資料となっています。ソクラテス問題に汚染されたプラトン資料とは違う一方、ソクラテスと同時に生きて生活中の観客を喜ばせるための煽動の種という問題はあるでしょうけど。
当時は報道メディアがなく、演劇は輿論を作る力がありました。現代に煽動記事やfake tweetが輿論を左右する以上の影響があったことでしょう。描かれ方は「ソフィスト」=私利目的で言論するプロ弁論屋で、これが裁判にかけられる一因となったという解釈も、道徳の擁護者として一定の尊敬を持って描かれたという解釈も、両方あります。
補足:何を金銀銅鉄に分けるかというと、人々をです。
徳の有無のような、どの時代・どの文化にもある発想を素直につきつめた先には、徳(や他の性質)の量で人も分類しちゃいますよね。
さてプラトンの場合は、社会集団の「四元徳」を階級社会各層の人に適切に割り振れば理想国家が成る、という思想でした。集団の四元徳を、ミクロに個人に適用できるか考えたのが「魂の三分説」。徳とか魂という用語から誤解しやすいのは、心を内観してその性質を考えたかのような第一印象を受けがちなところでしょう。